あけましておめでとうございます。今年もよろしく!

以降の文章では、2024年 能登半島地震の当日・翌日の様子をまとめています。辛い記憶がある方は読まずにページを閉じるなど、ご自分の心を大切にしていただくようお願いします。






2024年 能登半島地震を思い出す

テレビで能登半島地震の追悼式をやっていたのを見て、そのときの記憶を忘れる前に当時のツイートも交えて記録に残しておこうかなと思った。当時わたしは故郷である富山県高岡市に帰省しており、正月の怠惰な夕方を過ごしていた。

2024/01/01 (地震発生当日)

実際に大地震が発生する数分前に、やや強めの地震があった。まだわたしが地元の学校に通っていた頃の北陸は比較的地震が少ない地域だったので、「おや?」とは思ったものの、さすがにこのあとに記録的な大地震が待ち構えているとは思いもせず、のんきにツイートなんかをしていた(とは言うもののこのあともずっとツイートしているのだが)。

そして16時10分。とてつもないエネルギーが北陸を襲った。わたしがいた高岡市では震度5強を記録している。

すでに記憶が曖昧なのだが、やや弱い揺れから始まってどんどん強くなっていき、横揺れが激しかったような気がする。かつて東日本大震災を茨城県で体験したときは最初の地鳴りからいきなりドーンと突き上げるような縦揺れがきてパニックになっていたのだが、その時に比べると今回は直前に前震があったのもありやや落ち着いた気持ちで揺れに耐えられたような気がする。やはり何事も経験である(もう経験したくはないが)。

揺さぶられているあいだ、ファンヒーターが転倒して火事になるのが嫌だったので、軽く足で小突いて消火させ、机の上から飛んでいきそうになっているカメラを押さえて揺れに耐えていた。

揺れがおさまったあとは一階にいる両親の様子を見に行くと、どうやら父親は無事のようで火事の心配もなさそうであった。母親と弟は近所のポストまで郵便を出しに行っていたと聞いたが、外を見る感じでは家が倒壊している様子もないしそのうち帰って来るであろうということで様子を見ることにした。ちなみにこれだけの大地震なので津波の可能性も当然あったが、さいわいにして実家は市内でも比較的内陸部に位置しているため、おそらく大丈夫であろうと考えて避難はしていない。ただし、同じ高岡市内であっても沿岸部(伏木地域)のほうは液状化があったり、隣の氷見市では断水がかなり長期間続いたりなど、かなり甚大な被害を受けていたことを後になって知った。

ここで少し一息ついてツイートし、これからの状況に備えていろんな準備を進めることにした。ちなみにフォロワーのみんなから寄せられた気遣いのコメントのおかげでだいぶん正気を保ったまま行動できたという側面はかなりあったので、もう皆さま本当にありがとうございましたというほかない。

実家は玄関が金属の外開きドアのため、これからさらに強い地震がきたときに歪んで開かなくなるのを警戒してしばらく開放しておくことにしたのだが、やはり冬の富山は寒い。雪こそ降っていなかったがファンヒーターも使いたくない状況で玄関を素通しにしておくのはフィジカル的にもメンタル的にも辛いものがあった。

幸い水も電気もガスも使える状況だったので、ケトルで湯を沸かして保温ポットに貯めておいたり、バスタブに水を張っておいたり、東日本大震災で「これやっときゃよかったな」とあとから思ったことは一通り実践できたように思う(お湯を沸かすのはヤケドの可能性もあるのでけっこうギャンブルだったが)。

このあともずっと揺れは続いており、ふと手にした iPad は通知がパンクしてすごいことになっていた。

しばらくして無事に帰ってきた母親たちから電線が切れて落下している場所があるので注意が必要だという話を聞いたあと、両親は祖母の様子を見に行った。手持ち無沙汰になったので自分は近所の様子を観察がてらコンビニまで買い出しに行くことにした。確かに電線が切れている以外は、ブロック塀が崩れたり屋根の瓦が落ちたりしているくらいで、すこしずつ落ち着きを取り戻しているように見える。小学校のそばを通ると炊き出しをやっているのか、うまそうなカレーの匂いがする。コンビニも建物に大きなダメージはなさそうではあったものの、棚の中身はめちゃくちゃになっており、このあとの店員の苦労がしのばれる。

その後も断続的に余震は続き、緊急地震速報におびえたり気象庁の会見を見たりしながら眠れない夜を過ごした。あまり記憶が定かではないのだが、輪島地域の大規模火災のニュースもこのころ報じられたのではなかったかと思う。

2024/01/02 (地震発生翌日)

相変わらず余震は続いているものの、比較的被害の少なかった地域であったため、さいわいにも近所で多くのけが人や死人が出たりということはなかった。とりあえずは近所のスーパーで買い物を済ませ、祖父母の家に新年の挨拶も兼ねて様子を見に行くことにした。スーパーはピロティ部分の天井が崩落しており駐車はできない状態だったがとりあえず営業はしており、やはりこういう仕事に関わる人々の強さと大変さを改めて思い知った。

店内はワインくさくて床が赤いことを除けばおおむね平常で、わたしが好きな鱈の子(富山ではよく食べられる真鱈の卵巣)も入手できた。

その後、祖父母宅へ向かうとけっこうめちゃくちゃになっていた。いろいろな事情があり祖父母宅には豪邸でもないのに灯籠がたくさんあるのだが、軒並みひっくり返ってしまっている。よく怪我もせずガラスも割れず無事でいたものだ。

そのあとはいちおう初詣ということで近所の神社に。正直あれだけ灯籠がひっくり返っているのを見ると神社に行く気も失せるのだが、まあ倒れそうなものには近寄らないようにしましょうということで。

ここで両親と別れて散歩しながら道中の被害状況を眺めることにした。帰り道にもいくつか神社があり、どこも惨憺たる有り様であった。石垣や灯籠はくずれ、鳥居にもヒビが入っている。大地震を眼の前にして初めて気づいたのだが、神社とかいう場所はあまりにオブジェの質量と位置エネルギーが大きくて危険である。

高岡は古来から金属産業が盛んな街で、いまでも銅器を専門に扱う業者がたくさんあるのだが、もちろん例に漏れず大きな被害を被っていた。誰もこんなものがひっくり返るとは思っていなかったのだろう、固定などへし折って巨大な立像はひっくり返り、哀れな龍は車に突き刺さっている。

災害のさなかでありながら、あまりに不謹慎きわまりない感想であることは自覚していても、衝撃的すぎる光景に少しだけ心の声が漏れてしまった。これについてはもう2年も経ったのだから時効であろう(本当か?)。

自宅に帰ると、壁にヒビが入っていたことに気づいた。どうやらわが家も無傷ではなかったようだ。いまはすでに補修材で修理されている。

そして夜には、羽田空港から被災地へ向かう海上保安庁の航空機と日本航空の旅客機が滑走路上で衝突し炎上、海保の乗員5名が殉職するという悲惨きわまりない映像を余震に揺られながら目撃することになるのであった。

おわりに

こうして振り返ると、とんでもない正月だったなというのが率直な感想だ。おそらく今までの人生のなかでも東日本大震災に次ぐ衝撃的な時間だったように思う。この悲惨な大災害に対して我々ができることは多くはないけれども、この日を忘れないこと、被災地の復興を応援すること、そして次に来るかもしれない災害に向けて経験を活かすことを心がけたいと思う。

余談だが、去年の秋に能登半島を旅行して現在の復興の状況を見学している。こちらについても折を見て記事にまとめようと考えている。

お礼と新年の挨拶

このときにツイッターで心配してくれたり、ツイートに反応をくれたフォロワーの皆さま、ほんとうにありがとうございました。おかげで極度に気が滅入るような状態も避けられたし、被害がなかった地域の平常な生活を垣間見ることで自分のなかでも平常心を保てたという部分が大きく、もしツイッターがなかったらかなりメンタルがやられていただろうなというのは容易に想像できる状況でした。改めてお礼申し上げます。

年も明けて2026年にもなりましたが(そして投稿が間に合わず2日になってしまいましたが)、皆さま今年もよろしくお願いいたします。

Amamori / D.Aoki